Return~ 東アジアの冷戦/基地の島,誕生 ?琉米親善&台湾,?琉球軍プラン,?密貿易.
Retun{屋嘉比さんのテキスト?ぞいに,あちらこちら道草してます?.
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【基地の島の誕生】
米国・軍部主導の下で、?南西諸島の占領&?親米政府の樹立を目標としてかかげる「アイスバーグ作戦」は、9月7日*に初期段階を完了します。*本島中部で降伏式.
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さらに米国・軍内部では、11月に沖縄の「米国(軍)の主要基地」化が確認されます。
≫1945年スタートの基地機能
●読谷,嘉手納,小禄(ナハ),
伊江島,普天間などの滑走路群
●ホワイトビーチ&天願桟橋
(勝連半島) (うるま市)
●泡瀬OTH通信基地(沖縄市)
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翌年1月18日には、南西諸島を「信託統治(独立準備*)」下に置いて、他国の干渉を排除する手続きをとります。/*第一次大戦あと,先進諸国はその植民地支配を,形式だけ「委任統治(mandate?)」と呼びかえた.
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第二次大戦あと,それは国連・監視下の「信託統治(trustee‥ship?)」という制度になる/スペイン・バスク行政区のような自治権(教育・保健・治安維持・商業・土地所有権)はない?.
●1946年2月2日、
GHQ「N30度から南の琉球列島」を米国軍政府下に置く‥と発表/奄美〜南西諸島の分離?.
●1947年9月22日、
昭和天皇「対米メッセージ」にて、琉球諸島の長期・軍事占領継続を希望している‥と日本政府から米国政府へ伝達する→大和世からアメリカ世へ
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やがて、?大陸(国ー共)内乱あと、米国が支援して来た「国民党軍」が敗北します。その教訓=信頼喪失(原因分析)を、軍政府は「初期の琉球統治」に活かしました*p.242。
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就任したJ.R.シーツ少将*は「沖縄の経済振興策」を、基地依存に傾かせることで、スムーズな占領行政を実現します。*1949年10月~写真
その一方、?朝鮮戦争あとからは「共産圏への防波堤」という意味づけもなされる中で‥本格的な南西諸島(本島メイン)の基地改造が、そこからはじまります。まず段階として1953年、米軍政府は「土地収用令」を公布しました。
●1953年 普天間(占領)滑走路の2.7?延長により,住居を強制撤去/銃剣とブルドーザー。
●1956年 キャンプ・シュワーブ,辺野古弾薬庫(毒ガス弾貯蔵)の運用開始
●1957年
北部訓練場(やんばる)の運用開始
●1958年
久米島射爆場の運用開始
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【密貿易のとり締まり】
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また、台湾ー南西諸島ー日本本土を中継する「密貿易」についても、(眼のとどかない場所で)共産思想が流入する‥という危機感から、きびしく取り締り・罰則*をかけた‥とあります。/*~当時,住民たちの食糧配給は「(消費)カロリー」単位で管理.その配給量を低減して,まず人びとの反抗心(主体性?)から減じていた.
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【琉球軍プロジェクト】
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1950年8月1日、GHQは日本政府に「警察予備隊」を創設させました。‥また、1952には保安庁が設置、警察予備隊は「保安隊」に改まり‥そして保安隊をベースに「自衛隊*」は発足しました。*1954年7月1日?.
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日本の再軍備と流れを同じくして、‥当初、沖縄の占領統治スタッフは、琉球人たちに「琉球警察軍*」を持たせる計画があった‥といいます。*もしくは,Ryukyu Special Police‥Battalion(?),またはCoast Guard(沿岸警備隊).
その頃の南西諸島には、奄美・沖縄・宮古・八重山群島それぞれ別に地方政府を立ち上げたばかりでした。‥しかし、その各・民政府は「祖国復帰」を軍政府に要求してきました。
1951年4月1日「琉球臨時 中央政府」が置かれ、各地方民政府から権限をとりあげる形で、中央政府に権力を集めます*。その一年後に「琉球政府 警察局」が置かれ、?治安、?消防、米軍政府と協力して?海上巡視活動に入りました。
*その一方で,トカラ(1952.2.10)・奄美群島(1953.5.14)が、いち早く本土復帰を果たしました。
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?Text=屋嘉比収「沖縄戦,米軍占領史を学びなおす」~コピーした半分ページを?しました。
λ~(∵~{どうやら文章=絵文字に頼りすぎ…だったようだ/まいったな。