≫断片をつなぐ⌒テッサMスズキ「暴力を語ることは可能か」λ~(∵~{記憶の継承&共有.

⌒迎春"

  • "{むず…。

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Text=岩波選書・アジア太平洋戦争~1)の中から。

暴力を語ることは可能か}? by テッサ・モーリス=スズキ
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1)耐えがたい傷

まず、第一に‥文学研究者エレイン・スカリーの著書「苦痛のもとにある身体~その世界の形成と変質」を取り上げながら、その発想を借りて


●歴史的なメディアと戦争の関係、●プロパガンダ(戦争誘導)の暴力表現、●戦時暴力の風化メカニズム、●多様化・量産化・写実化する暴力文化の背景‥そして●暴力と、どう向かいあう方法があるのか‥までを検証します。

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2)言葉は感情を表せない
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戦争(暴力あとの惨状)について、兵士たちがのこした「手記」からテッサMスズキは検討に入ります。

20世紀(1900年代)に入ると、戦争は「大規模化」しながら「ひん発」します。‥歴史家ジョン・ダワーによれば≫第二次世界大戦とは、5千万人の男女や子どもたちにとって「死」を意味し、その被占領地~戦場に暮らしていた数億人の人びとにとって、それは苦痛と悲嘆をもたらした「地獄」を意味していた。

その一方で、あらゆる地域の「国民」にとって‥戦争とは、a)技術革新、b)官僚システムの肥大化、c)前例のない大規模動員としても記憶され、そちらが公式(公認)化されやすい≪歴史家ジョン・ダワーからの引用。

実際は、これを実現させるため、各国指導層は「活字報道」や「映画」づくりだけでなく、「検閲」にも力を注いでいました。諸外国‥とりわけアメリカは、敵国(日本)の残虐さについて「現地住民の惨死」をモチーフにして伝えます。

一方の日本は、敵味方ともに「惨死を隠蔽(詩的な表現で代用)」することで、個人(i")の発想を統制しつつ組織全体(▲=ピラミッド)の統率を固める‥という戦略をとりました。

テッサ氏は、個人(i")としての戦時手記にも注目・検証します。

そこで兵士たちは、派遣先で体験したり、目のあたりにする「暴力(処刑)」について、敵味方‥人種や宗教・思想・文化を「評価基準*」にした仲間への共感ー敵対者への侮辱に置き換えて表現しています。