1)農耕≫近代国家へ‥より大きな支配構造の下へ/沖縄県誕生と武力外交の道

λ~(∵~{!

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1)東アジアにおける武力外交/その植民地史‥をたどる.

どうも、大航海時代って時期は広いらしい‥のでインドに拠点を置く「大英帝国(イギリス)」が、極東アジアに進出するところから話しをたどってみます.

アヘン戦争

英国はじめ西洋先進国≫西洋列強は、東アジアにおける「資源戦略」のほこさき(ターゲット)を、清帝国が治める中国大陸に向けます。

しかし、あくまで現・宗主(=周辺国および地域の支配)国である清と、そこへ新たに参入したい西洋列強(先進国)の間では、必然的に対立が起こりました。


大陸各地では、しばしば現地市民と西洋商人との間でひずみとなって現れました。その中でも「三角交易*」によって自国の利益を確保しようとする大英帝国清帝国の関係は深刻でした。


 *中国から「綿と茶葉」を輸出する一方,英国はインドを拠点に「アヘン(麻薬樹脂)」を中国国内に密輸入させ,その貿易(輸出入)バランスを図ろうとした.≫しかし麻薬汚染による治安悪化・統治力の低下を深刻とみる清政府は,断固とした態度でその取り締まりに乗りだす。

●麻薬常用者の処刑
●密輸(英国)船の入港禁止
●押収した麻薬の全焼却処分

この事件をひきがねに、英国海軍と清政府は戦争状態に入ります。それがアヘン戦争(1839~1842年)です。‥近代的な装備でまさる英国海軍ー清帝国の戦争は3年にも渡りました。その末に経済・軍事力とも疲弊した清政府は、降伏を受け入れました。λ~(∵~{‥と,Wikipediaで勉強。

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【農耕≫近代国家へのシフト】

それまで鎖国によって、国内の幕藩(中央権力による地方統治)システムを維持して来た島国日本にも、中国大陸(隣国)におけるニュースは伝わりました。そのインパクトは、まず当時の学問の場(塾)において和魂漢才≫和魂洋才‥という発想転換をうながしたと云われます。

また、それまでの交易国であるオランダ、ポルトガルに加えて‥日本周辺にはロシア、米国、英国、ドイツの外洋艦船も出没。やがて水と食料などの補給基地となる役割が要求されるようになりました≫不平等条約のてい結。

日本は諸外国の要求を受け入れる一方で、指導者を将軍から天皇へと交代させ国号=大日本帝国にあらためます。

そして先進国から、新たな支配体制のモデルとなる「(西洋式)近代化」への協力をとりつけました。‥また江戸時代から属国(従属する異国)関係に置く琉球王国*(南西諸島)、アイヌ民族の居住地域(エゾチ=北海道)の併合に乗り出しました。

*二つの国(清&大和)に従属していた琉球に対して,明治の新政府は「そもそも琉球=日本国内の一つの地域(領土)だと主張するため「琉球王国琉球藩沖縄県」と改称をすすめた.

その戦略上のスタンスから当時,言語についても「方言」とあつかいつつ標準語の習得をいそがせる.また現地の教育方針については「自治する能力」ではなく,中央政府とのやりとりに必要な読み書き力と定めている.

≫この21世紀(現在)までつづく「情報を与えずに,知らないことをさげすむ」というネガティブな態度は、ここから=教育制度(日本のアカデミズム)+マスメディアの発達を背景に温存されてきたようです。

α~(∵~{まだ漠然…だな.
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λ~(∵~{また西洋(近代)化を目標とする日本は、先進国から介入&援助を受けながら、東アジアにおける軍事行動の先鋒役もつとめはじめます…。

日清戦争台湾島の併合】
・台湾駐屯軍/日本語教育
朝鮮半島への憲兵駐留

多国籍軍による中国義和団(民兵)の掃討】
支那駐屯軍を北京近郊に配置

日露戦争朝鮮半島の併合】
・朝鮮駐屯軍の編成
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〃"{次回は,国内へ…

【国家教育の模索とメディア】

α~(∵~{ちかれた‥一休み。