上☆⌒Re:極東のリムランド{日本と琉球列島をめぐる(地政学的)戦略のゆくえ.

?‥今年の投稿おさめ゛λ~(∵~{ぅーみじんひ~せん.

【日本―南西諸島の戦術的価値】

前回(Q&A)までは、ざっくり「地政学」という世界観をとおして、平民/政治指導者たちのあいだには、別の現実感覚*がはたらいてることを勉強しました。≫*情報戦略をあやつる立場―情報にあやつられる立場から,そもそも見える景色(世界観)がちがう.

今回は、この百年(20世紀)の日本を中心に「極東アジア」でおきた資源支配をめぐる混乱を、大ざっぱにたどって行きます。

気づけば20世紀の指導者たち*は、地政学という世界観をとおして「戦争」のもたらす混乱を地球規模にまで拡大させていました。‥植民地紛争にはじまり、二つの世界大戦、冷戦と地域紛争という歴史が刻まれます。‥そして現在、ユーラシア大陸/北西太平洋の接(せっ)する「沿岸エリア*」は、ロシア(旧ソ連)―中国―米国のせめぎ合う場となりました。

≫*朝鮮半島+日本列島(+南西諸島)という場は,関係する各国のPR(宣伝)―世論誘導など情報戦略の場にもなっている.

∴∵∴∵∴ALSK(アラスカ):::
∴∵∴∵∴∵∴∵:::::::
∴∵∴∵∴∵/:::::::::
∵∴∵∴∵/:::::::::
∵∴Russia\:・::::::::
∵∴∵/\//\::::↑::
∵∴`│:::\/:(A):1000km
URSK☆::::/\:::│::
∴∵/:1000km\∵\TKYO↓:::
∵∴★ ……………… ★::↑::
'┌PYYN\::/∴/\/:│:::
`│:\/:/(B)/:::1000km:
'│::::\/:::::↓::
`└┐:::::*:::↑:::::
China::::::*::│::::
∴∵│:::(C):☆:1000km:::
∴∵│:::::*:::│::::
─☆┘┌┐*:**:::↓::::
:::││:::::::::::

::
└┘Taiwan:::::::

::::::::::::::::

まずは、Aゾーン=北方(ロシア)と日本(首都圏)のあいだにある緊張。それは日露戦争―中露蒙古地域の争奪戦(満州へのソ連侵攻)という衝突をたどり、冷戦時代には漁場問題*をとおして「領土問題」が伝えられました。また日本海の向こうにはウラジオストク(ソ連原潜の軍港)があり当時、日本近海いたるところ水面下で「(ミサイル装備の)米国原潜―ソ連原潜」による双方の挑発航行がくり広げられました。

同時に「北方(北海道)への侵攻」を阻止するため、戦車部隊―航空部隊のスクランブル(緊急出動)体制も整備されました。一方で、エネルギー資源(天然ガス)の供給国として復活したロシア共和国は「先制攻撃」よりも「経済戦略」に軸足を置く外交政策をすすめています。≫*たびたび,日本漁船のだ捕(漁民の拘束~抑留)やソ連警備船の銃撃事件がおきた.+先住(アイヌ)民族の人権問題も国際社会に伝わっている.

次に、Bゾーン=朝鮮半島(平壌)から日本列島へとつづく軍事的な緊張があります。東京との距離は1000km程で、北朝鮮政府のすすめるミサイル戦略*に対して、日米は「レーダー監視/迎撃システム」による防衛強化を打ちだしました。≫*瀬戸ぎわ外交:軍事優先の政治戦略を国内にアピールし自国内世論の結束を,また周辺国(海外)には経済支援の要求して「独裁体制」の世襲維持をねらう.

●2006年,北朝鮮ノドン発射実験
弾道ミサイル/射程約1300km

●2009年,北朝鮮テポドン発射実験
L現時射程1500km~目標6000km.

冷戦あと、イデオロギー(社会政策)をめぐる対立が無くなったこの時期、この「北朝鮮*」にまつわる情報は、衝撃となって日本国内をかけめぐりました。≫*1950年代からの市民拉致,覚せい剤製造輸出,偽ドル紙幣の流通,凶作と飢餓,核兵器開発への動きの発覚,さらに工作船との海上戦闘が発生.またこれら事件がもとで,朝鮮半島―日本の歴史的背景も多くの人びとの間で知るところになる⌒{情報の共有化もすすんだ.

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

【沖縄防衛論と二つの動揺】

=~{…ぃん?

沖縄返還の直前1968年、国連にて「(東シナ海における)海底資源」の存在が公表されると、この海域=Cゾーンがどこに帰属するか‥をめぐって、この頃から各国の主張―論争がはじまっています。ふたたび、南西諸島を国土に編入*させた日本政府も、この論争に加わりました。≫*あくまで米軍統治とは,現地の基地利用が主要目的.このタイミング(冷戦当時)に沖縄の基地機能を維持したまま,形式のみ本土復帰が果たされた背景には「資源権益」をめぐる経済戦略も影響していた.

●1971年,沖縄の返還協定がむすばれる≫本土復帰≫沖縄海洋博の開催.

●1972年代,田中角栄の訪中(日中国交正常化)≫翌年,ソ連訪問.

その一方、日本は周辺諸国との国交回復はじめ、依存する石油の供給国との友好関係づくりに力を入れはじめた矢先でした。この間に中国は着々と「天然ガス」の探索―採掘技術を蓄えて、1999年からは「(日中両国の)排他的経済水域」にある海底の地層からの天然ガス採取*を開始。≫*1970年代に入ってから中国政府は,大陸棚+琉球トラフ(海溝)までが自国領海であると主張をはじめる.日本政府は,問題解決を国際司法裁判所国際海洋法裁判所の場にあずけようと中国政府に提案する.

●2004年,日本政府「天然ガス資源の共同開発」を前提とし,中国に探索データ(資源分布)の共有を提案≫中国政府は無解答.

●同年,紛争時の国民保護(現地の権利制限)を定める特別法=有事法制を日本政府が可決.

●2005年,日本も自国(持ち株会社INPEX)主導で海底資源の探索活動に入る.≫中国海軍の大型駆逐艦(5隻)がガス採掘プラントの周辺警備に出動.

●2007年,米軍掃海艇の与那国島寄港≫6月27日台湾有事の基地利用が極秘提言される(Wikileaksの情報公開で発覚).

●2009年3月18日,中国海軍の(沖縄島大平洋沖)外洋演習にて,中国ヘリが自衛隊鑑に異常接近.

≫5月3日,日本の海洋探索船に中国ヘリが異常接近で妨害中止に.

●2010年9月7日,尖閣列島沖で中国漁船が日本の巡視艇に体当たり逃走―だ捕釈放事件≫日中両方でメディア+世論の非難合戦へとエスカレート.

AとBゾーンが、都市機能=政府と経済活動の中心に近い位置であるのに比べ、東京からは2000km余りの距離(間合い)をへだてるCゾーンとは「軍事的な緊張」にせよ、あるいは段階的にエスカレートするにせよ、比較的に「時間」と「空間(間合い)」の余っている国境地帯と見なされています。


また、戦略のみ*で考えれば(1)このタイミングは「国内の世論誘導」や、(2)有事法制の発動(議会の手続き)―もしくは憲法上の軍事的な制約=9条の解除に、上手く利用できる状況でもあるわけです。≫*(3)たしか,国際法の定める先制攻撃=国連での発言権をうしなうことも考慮(りょ)しながら.

ё{次回の記事に,チェックした(3)の結果を投稿してます.

それから、敗戦あとの日本は「米国のリムランド(ロシアー中国を包囲する1地域)」としてその役割をもとめられて来ました。日本本土の繁栄+安全を維持する代わりに、沖縄周辺には(1)基地機能の集中と、(2)政府主導の経済自立策(内容=開発依存への誘導)、および(3)国内におけるこの地域の特殊性*を印象づける情報発信がくりかえさせました。≫*のぞんで経済優遇策と引き換えに,基地と同居しまたがる‥という県民イメージが,そこであみだされる.

ё{ざっくりだと,資源+本土(中枢)防衛の2つ=沖縄防衛論の背景‥でいいね.

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

【からみあう世界経済―せめぎ合う軍事戦略】

その一方で世界は、1945年あと広まった「自由貿易(大西洋憲章の米英世界戦略?"が基本)」という価値観によって、多国間で生産―消費―経済成長のしくみを複雑に共有しあうようになっていました。

信頼と信用によって成立している世界経済(グローバル経済)とは、(1)どこかで予測―現実の状況が食いちがうと、(2)たちまちそのひずみ(しわ寄せ)が全体経済のしくみに伝わって、それが(3)発信された予測を信じ―依存するがわの損害になるばかり‥というしくみのようです。

ё{いかさま…とまでは行かず,そんな言葉足らずを信じたがわの自己責任‥というスタイルだね.

●1973年,オイルショック(中東戦争で世界的な原油高)≫省エネ+自然エネルギーへの関心が広がる.

●2007年,サブプライムローン不安から世界金融パニック≫投機マネーによる燃料・穀物価格の高騰≫世界規模の金融規制論が広がる.

●2009年,東京・日比谷公園で年越し派遣(労働者の一時避難)村が開設.

≫2009年4月27日,沖縄島・読谷村では「米軍基地の県外移設」要求集会に9万人が参加.


●2010~2011年,北アフリカや中東で民主化デモ革命運動が広がる.

●2011年,NYズコッティ公園から格差抗議デモが全米とヨーロッパに広がる.

●2011年11月8日,ヒラリー国務長官「東アジア」積極関与をフォーレンポリシー誌に明言≫11月19日,オバマ大統領とギラード首相「(米豪)軍事同盟」の強化=中国軍事力の増強を背景に,米海兵隊の豪州駐屯を公表.

●11月30日,EU連邦銀行が自前・格付け会社の発足を発表(:米国格付け会社主導によるEU加盟国の格下げに対抗する意志を表明).

ii-゛{ややこし…熱+ハナ水もでてきた.

(中,下☆につづく)