中☆⌒整理{古代国家のメディア戦略≫中世≫現在‥戦略であみだせる平和の限界.

上☆のつづき{呪文,解けた感じ.

⌒η~(∵~{そういえば、基地を維持したまま返還(復帰)って‥何んの意味+タイミングだわけ?という疑問もあったんだ。

言葉の足りなさ=当時の不安と背中合わせに発信されたでなく、まるまる資源への執着心だったか。

ё{言葉足らずの情報発信っていいたいのだな.⌒{無想&止揚.

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もくじ

【1.古代国家のメディア戦略】

【2.中世~専門化した戦略家】

【3.戦略世界―市民の世界観】

【4.戦略であみだせる平和の限界】

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【0.あやふや,ちぐはぐの整理】

1)先制攻撃&発言権の件:修正≫15カ国の安保理理事国のうち,紛争当事国(6th,52th-No.3)の場合,投票を棄権しなければならない/連国連憲章~5th-No.27♯3⌒η~(∵~{常任理事国の中,仏,露,英,米+2年任期の選出理事国=15カ国ってことか.


安保理理事国でない加盟国でも,理事国が利害関係と認めれば,投票権の代わり発言権が認められる/5th-No.31‥λ~(∵~{調べては忘れ,思い出しては忘れ゛

2)古代戦争において,帰還兵たちが「神話―現実の戦争」は別ものとした件≫資料みつからん≫ペロポネソス戦争から考える.

Text=トゥキュディデスの戦史によれば、すでに当時から(1)都市化する中で「市民/奴隷(階級闘争)」というしがらみを背景に、(2)戦略的で組織的な「資源争奪」をめぐる戦争がとりくまれています。その状況下で、帰還兵のトゥキュディデスは(3)戦術にくわしくない市民*のむやみな権益拡大をのぞむ声や、(4)雄弁すぎる政治家の主張、(5)神のお告げなどによる介入が「軍事戦略」に悪影響をおよぼしていると言及します。≫*スパルタ国の属国という立場にあったアテネ市民.

彼は戦略家として、アテネ社会特有の「徳」という価値観を発信しながら、国策として(1)国家主権のありかた、(2)中立地帯のあつかい―植民地外交の注意点、ぎりぎりの和平交渉(不戦勝/不戦敗)における(3)他国の存亡を例をあげながら、希望的観測や執着*による無謀な賭けをいさめます。

≫*翻訳版からの引用.トゥキュディデスが肌で知る「現実の戦争」と,戦闘に参加しない上級市民の「戦争イメージ」が別ものになっていることも明らかにしている.ё{…やぶれかぶれにも聞こえる.


その一方で後世の歴史書とは,より市民向けに神話(物語)化した作りが定着.近代日本の明治期の徳育/知育(教育政策)も,その方向の中であみだされた.

1907年に,ロンドンで原書(英語版)が発行されているが,戦前の日本で注目されたかは不明.日本語(岩波)版は1967年あと紹介されている.λ~(∵~{速読術ですっきり♪

ё{とばし読みでしょ(ざっくり)!

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【1.古代国家のメディア戦略】

●紀元前2600年=4610年まえ,ギルガメッシュの物語が記(しる)される.≫自然を征服する文明=必然(イメージ)化させたテキスト.

●紀元前1183年,詩人ホメロスイーリアス(戦争文学のくさわけ)の中で,トロイアの略奪をドラマチックに描写.≫オデッセイヤ(権力者の物語)も記(しる)される.⌒η~(∵~{宿題゛


≫紀元前0995年ごろ,ダビデが統一イスラエル(ユダヤ教徒の国)を建国.

●紀元前0430年=2440年まえ,ペロポネソス戦争への突入≫ヘロドトス,トゥキュディデスが戦略知識を披露しながら,国防戦略の継承=戦史(歴史)作成をこころみる.

●紀元0069年あと,タクトゥスの「歴史」が,ローマ軍のクレモナ略奪の様子が記(しる)される.

≫西暦0030年ごろ,弟子たちがキリスト教(イエスの受難)の世界観が広まる.

≫西暦0622年,ムハンマドコーランの教え(世界観)を広めはじめる.

ё{中国では,春秋戦国時代~紀元前770〜221年(統一王朝の発足)までに「韓非子(戦略論)」がまとめられる.⌒η~(∵~{宿題〃〃゛

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【2.中世~専門化する戦略家】

古代において、(1)神話や伝説を発信―受信するしくみは、やがて(2)学問=過去からつたわる記録の検証≫実証にやくだつ「情報管理のしくみ」に発展。中世になるとその知識は、(3)国家のもとで軍事―経済―国内海外へのメディア戦略に活かされる*ようにもなりました。≫*スピンオン,アウト,スピンコントロール.

●14世紀ごろ,イスラム社会からヨーロッパに大砲(火薬式重火器)の技術が伝わる.

●1411年,ドイツ製サーペンタインロック式~火縄銃の発明≫量産化.≫1543年,火縄銃が種子島に伝来.

それから、さらに(4)君主制や宗教行事のほか寓話(ぐうわ)や童話をとおして、国家―国民(市民)の関係を意味づけする「伝統的な国家観(所属意識と価値観)*」がぞくぞくと発信されました。≫*主人公と権威(権力)をむすびつける物語や,国家の権益を維持・拡大させる目的で研究学問が盛んになりゆく.

●1516年,マキャベリ君主論(君主のリーダーシップ論)を献上.

★1603年,江戸(徳川)幕府の成立≫1609年,薩摩侵攻で琉球王国が属国化=琉球列島の植民地支配はじまる.

●1776年,北アメリカが英国支配から独立する.

1832年,クラウゼヴィッツ戦争論(地上の戦術+武力外交をまとめたマニュアル)が発表される.

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【3.国家戦略―市民感覚の分離】

ところが戦争ばかりか、同時に都市中心の社会政策がすすめられる下で「戦略構造(軍事―経済活動―伝統的な階層文化)」によって、犠牲ばかりをしいられ‥不満をもつようになった人びと*の声も高まっていました。それは「それまでの支配構造」に代わる社会のしくみ作りや、もっと市民の権利を国家が保証する「民主化」運動の原動力になっていきました。≫*過去からの伝統的な社会観では,下層市民+社会の辺境で生きる人びとは,その仲間同士で奪い合い+おとしめ合う存在であり,それを政府が救済する‥という価値観が知らず知らず継承されてきた.

λ~(∵~{…あやふやな分も,ざっくりな説明だな.

●1867年,マルクスが「資本論(企業の生産活動―労働状況とその将来観を分析したテキスト?)」を発表.

★{日本では,大政奉還がおきる.≫1879年,独立国としての主体が弱体化させられた琉球王朝が,当時の日本に吸収合併される=琉球処分(沖縄県の発足).

★1889年,国号が大日本帝国に決まる.

それは、市民(庶民)が中心となって文化を発信(情報発信)する時代のはじまりでもあります。一方で、(A)日常社会の目線で暮らしてゆく市民にとって、まだまだ「(B)国家戦略=情報を発信するがわの世界観」とは未知なる価値観*でもありました。この関係=(A)と(B)がせめぎ合いながら同居する状況は、のちの冷戦構造(イデオロギー)のベースにもなりました。≫*情報格差によるピラミッド型社会が,さらに情報格差+暴力構造をあみだすしくみにもなっている.

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【4.戦略であみだせる平和の限界】

゛⌒η~(∵~{くたんでぃたん(つづく).