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かんたんなまとめ_東アジア、中国と日本の交易史/直し

⓪ 中国の森林地帯が後退(紀元前7000〜5000年)。黄河長江文明へ。Loess Plateau:黄土高原(こうど_こうげん):황투 고원 http://en.wikipedia.org/wiki/Loess_Plateau
Hemudu culture:허무두 문화:河姆渡文化(かぼと_ぶんか) https://en.wikipedia.org/wiki/Hemudu_culture

西日本で、貝輪など(イモガイ琉球特産の貝通貨も)が流通していた。≫ 琉球ー西日本に交易ルートが存在した(規模は不明)。Polynesian navigation:在古代的太平洋的传统的航海策略:고대 태평양에 있어서의 전통적 항해 기술:古代の太平洋における伝統的な航海術http://en.wikipedia.org/wiki/Polynesian_navigation &Japanese origin study (Siberia opinion):일본인의 기원연구(시베리아설):日本人的起源研究(西伯利亚说):日本人の起源研究(シベリア説) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%AB%E6%B9%96%E7%95%94%E8%B5%B7%E6%BA%90%E8%AA%AC &Japanese origin study (easting opinion of 2, a mitochondria and a mother's side DNA):일본인의 기원연구(미토콘드리아DNA에 의한 추적과 2개의 동진설):日本人的起源研究(线粒体,由母系DNA的2个东进说):日本人の起源研究(ミトコンドリア、母系DNAによる2つの東進説) Haplogroup D-M174 http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D-M174#D2_.28M55.29



① 夏ー殷(商)ー周の興亡時代。中国における最初の社会秩序。朝廷儀式の成立。東アジアは、青銅器時代から鉄器時代に入る。地中海東部でも、カタストロフ(鉄器量産による戦乱時代)が始まる。前1200年のカタストロフ http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D1200%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%95 エジプトで大型帆船が出現(紀元0年の前後)。日本は原始的なシャーマニズムの時代。


②中国の三国時代(西暦200年の前後)。呉(呉越同舟)が日本人のルーツ説あり。日本における鉄器の普及。稲作の普及と奴隷制

1〜2世紀、すでにインドの商船が活動していた。


③ 隋(581-618)による戦乱収拾は、300年ぶり。倭国(日本のシャーマン女王)が使者を送る。朝鮮南端ー九州中国地方に五国の王が登場。朝鮮半島で白村江のたたかい(高句麗百済新羅の戦闘状態)。日本中部で、大和朝廷が都を構える(中国・長安モデル)。東日本の武力制圧がスタート(支配と排除)。


④ 唐代(681-907), シルクロード交易によって中国は盛況。儒教知識(科挙試験)による統治システムが整備された。宗教全体に対する寛容政策、そして貿易外交の推進(朝貢)によって、唐の政府はその権威を高めた。日本からは遣唐使船が往復、「日出ズル国ノ天子(大和朝廷天皇)」から親書が贈られる。また朝廷は天台宗(鑑真)を公式仏教に認定。鑑真は琉球ルートで西日本に渡った。当時における日本の公文書は漢文。漢文解読のための文字(ピジン語、送りガナ、カタカナとひらがな)がその以前から使用されていた。
ダウ船(ムスリム商人) http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%A6%E8%88%B9

物流。情報ネットワークの上には、琉球列島が存在していたが、日本の古文書に紹介は無い。日本史において、琉球人は単純な記号と数字のリテラシーしか無かったことになっている。


宋朝(960-1279)において、仏教が最も盛況。支配層には禅宗の哲学、民衆には浄土教が定着した。ムスリム商船による中東ーインドー東南アジア交易が活発になった。日本にも、禅宗(士族のナラティブ)と浄土宗(民衆のナラティブ)が普及する。


元朝(1271-1368)。ハーンの血族による交易支配。北東アジア、インドシナ王制諸国との戦争。モンゴル帝国軍の日本遠征(軍事力による威嚇?) ≫ 元寇あと、東シナ海では、戦災を背景に海賊(倭寇)が出没。武装商船団や警備船も出現した。琉球列島では、軍事的な闘争の果てに尚家が交易権を掌握(武力統治)。琉球王国が、朝鮮仏教の権威を借りて、建国声明を公する(万国津梁之鐘)。


⑦ 明朝(1368-1644)。儒教の復刻=朱子学によって明朝政府は、仏教と距離を置く。訂正"{鄭和(台湾)によるインド洋航海。1400年代、巨大帆船の資材=50mの原木(木材供給源との交流)や、木組み技術の発展から考察すれば、すでに巨大船の原型=原型となる小型の帆船も存在していたことになる。

ヨーロッパの武装商船による武器売却。武力外交(植民地政策)によって東アジア交易圏における主導権はヨーロッパ人に移動する。日本は、琉球侵攻によってその交易圏を支配するが、東アジアにおけるキリスト教の影響に直面、日本人町(海外の交易拠点)を放棄する。琉球侵攻の前後、那覇首里の寺院でたびたび火災。朝鮮仏教にまつわる公文書が消失する。‥ヨーロッパ商船の造船基地が、フィリピン諸島だったとか(‥フィリピンには、資材と技術が集まっていたってことか)。


⑧ そして清朝(1616-1912)。満州族(権威)ー漢族(官僚)の支配スタイルが確立したことで、長期安定化。一方で、英国との貿易摩擦アヘン戦争に発展して、清朝の権威が脅かされていく。日本では、新政権が「儒教(朱子学)」と「経済優先(地方監視)」による統治システムをスタートさせる。商業ネットワークの発達=日本中部において、大阪商人ー近江商人伊勢商人が活躍(神社仏閣の寄進も盛んになった)。☞ 西廻海運(にしまわり かいうん, 日本海ルート)  http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%BB%BB%E6%B5%B7%E9%81%8B 政治における皇族の排除(学問特化)。初めての外国支配=琉球の植民地政策(&朝鮮通信使琉球王族が混同された可能性がある)。


中華民国の誕生。

中国における統治システムの変化は、時代ごとの文化(地域における価値観)と、その変遷は、東アジア全体とも共鳴していることが分かる。この影響は近代ー現在にもつながっている。

中国(統治システム)の歴史 
 http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2